不条理と向き合うための笑去主義とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2716)】
カッコウアザミ(アゲラタム・コニゾイデス。写真1、2)、ヴァンダコスティリス・ルー・スネアリー(写真3)、シラサギカヤツリ(写真4)、サマーインパチェンス(写真5~8)、ハイビスカス(写真9)、プルメリア(写真10~12)、メディニラ・スペキオサ(写真13)が咲いています。
閑話休題、『不条理を乗り越える――希望の哲学』(小川仁志著、平凡社新書)は、不条理に満ちた世界をどう生きたらよいかを考察しています。
著者は、死に対する哲学的な姿勢を3つに分けています。
①人は死なないと考える立場。つまり、肉体は滅んでも、魂は死なないと考え、「魂の不死」を主張する。ソクラテス、ニーチェなど。
②死など関係ないとする立場。死のことなど考えても仕方ないと主張する。エピクロス、サルトルなど。
③死は生きるためにあるという立場。死を生のゴールと捉え、死ぬまでは頑張ろうと呼びかける。ハイデガー、シェリー・ケーガンなど。
私自身はエピクロスの考え方を踏まえ、ハイデガーの勧めに共感しています。
著者は、不条理とどう向き合うべきかを、真正面から考察しています。
「いつの時代も、人間の社会には不条理が存在する。人は、これでもか、これでもか、というところまで突き落とされる。それでも、生きなければならないのが人生なのだ。この世は不条理に満ち溢れている。不条理とは、道理に合わないことである。死、戦争、そしてパンデミックなど。いずれも運命的なものである。しかも、不可抗力を指すことが多い」。
哲学的には、これまで3つの立場が提起されてきたと、著者は言います。
①超然として受け入れる。
②徹底的に反抗する。
③前向きに乗り越える。
著者は、第4の態度として、不条理を笑い飛ばすという笑去主義を提唱しています。「これこそ、不条理に対する新たな達観、新たな前向きの態度を表明するものではないだろうか。・・・私のいう笑い飛ばす態度は、『不条理のなかの正気』といってもいい。決して狂気じみて笑うというのではない。その反対で、本質を見透かしたからこそ笑い飛ばすことができるのだ。・・・笑い飛ばすことで、不条理を消し去ってしまうのだ。・・・つまり不条理とは、どうしようもない悲しいことであると同時に、もうどうしようもないからこそ、滑稽な状態でもあるということだ。・・・どうしようもない、滑稽なことなのだから、怒るのではなくて笑い飛ばす。しかも本気で笑い飛ばす。そうすると、少なくともこっちは堂々と生きていくことができるだろう」。
小川仁志は敬愛する哲学者であるが、この笑去主義については、正直に言えば、いささか説得力に欠けると、私は考えます。