文庫本一冊で、『三国志』の全体像が丸々分かる優れ物・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2743)】
クロコノマチョウ(写真1、2)、ヒカゲチョウ(写真3、4)、キタテハ(写真5)、ツマグロヒョウモンの雄(写真6、7)、雌(写真8)、モリチャバネゴキブリ(写真9)、アオマツムシの雌(写真10)、ブチヒゲカメムシ(写真11)、コアオハナムグリ(写真12、13)をカメラに収めました。
閑話休題、『読切り三国志』(井波律子著、潮文庫)は、この文庫本一冊で、『三国志』の全体像が丸々分かる優れ物です。
「本書では、ときに『三国演義』にも目をむけながら、主として陳寿の『三国志』と裴松之の注にもとづき、激動する『三国志』世界の状況とそこに登場する人物の姿を描いてみたい」。
本書の切れ味のよさは、「第1回 曹操姦雄伝説の始まり」の一節を見ても明らかです。「『三国志』の中心人物曹操は権謀術数に長けてはいたが、決して邪悪の権化董卓のような単なる悪玉などではない。超一流の軍事家であり政治家であり、おまけにすぐれた詩人でもあった。スケールの大きさからいえば、劉備や孫権とは段ちがいの傑物である。しかし、曹操のパーソナリティはきわめて複雑で、たしかにのちに『三国演義』で極端化されるような、姦雄(ずばぬけて悪知恵のはたらく傑物)としての一面もあったことは否めない」。
「第8回 劉備、その不思議な力」には、こういう一節があります。「頭脳はともかく、肉体的条件に恵まれ、堂々たる風格の持ち主だった劉備には、ひと目見るなり人を引きつける魅力があった。ちなみに曹操のほうは、大胆かつ豪快な性格、切れ味鋭い頭脳の冴えとはうらはらに、風采のあがらぬ貧相な小男だった。風格の面では、劉備のほうが圧倒的にすぐれていたといえる。劉備はまた謙虚な人柄で人によくへりくだり、口数少なく、喜怒哀楽を表に出すことがなかった。天下の豪傑と好んで交わり、大勢の若者が競って彼に近づいたという。・・・中心に存在するだけで、別にこれといった指示を与えたり、リーダーシップを発揮したりするわけでもないのに、なぜか周囲の人物を奮起させ、輝かせる不思議な力が、劉備にはあった」。
「第29回 劉備の台頭、周瑜の退場」の一節には、思わず快哉を叫んでしまいました。「兄代りの周瑜を失った孫権の悲しみには痛切なものがあった。周瑜は、孫権が兄孫策のあとを継いだばかりのころ、諸将が若い孫権に敬意をはらわないとみるや、率先して孫権に対し丁重な臣下の礼をとってみせるなど、あくまで孫氏一族に対し誠実そのものだった。孫権が今日あるのは、周瑜の支えがあってこそだったといえる。乾坤一擲の大勝負に賭け、若いエネルギーのありったけを燃焼させて夭折していった孫策、そして周瑜、江東の風雲児はともに限りなく魅力的である」。周瑜の魅力が生き生きと伝わってくるではありませんか。
「第41回 魏王朝の悲劇」には、こうあります。「総じて曹操にしろ、孫策にしろ、そして劉備にしろ、後漢末の乱世を腕一本でのし上がってきた『三国志』の英雄たちは、皆どこかカラリと突き抜けたような捨て身の豪胆さにあふれ、その途方もなくダイナミックな魅力は、人を引きつけてやまない」。
個人的に勉強になったのは、「第48回 魏の滅亡」に登場する「竹林の七賢」の件(くだり)です。「司馬懿、その息子の司馬師、司馬昭と司馬一族が代々策謀の限りを尽くして邪魔者を排除し、魏王朝簒奪計画を推し進めた魏末の状況は、下手をすればちょっとした失言をしてさえ、司馬一族に弓を引くものだと糾弾され、投獄のうえ処刑されかねない危険に満ちていた。こうした状況のもとでは、正面切った政治批判などとうていなしえない。ここに注意深く司馬政権との正面衝突を回避しつつ、独特のライフスタイルによって、理念的な反抗を貫こうとする一群の人々が出現する。世にいう『竹林の七賢』である。竹林の七賢とは、阮籍、嵆康、山濤、劉伶、阮咸、向秀、王戎の7人を指す。阮籍をリーダーとする竹林の七賢は、老荘思想の『無為自然』を阮モットーに、俗世間のしがらみの外へ脱出し、あるがままに大いなる自然とともに生きようとした」。