居場所がなくても、若い人はそんなこと気にしなくていい・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3257)】
ヒバリ(写真1、2)、タヒバリ(写真3)、ムクドリ(写真4)、ツグミ(写真5)、オオバン(写真6、7)をカメラに収めました。ハクモクレン(写真8~11)が咲いています。ハボタン(写真12)の色づいた葉が目を惹きます。因みに、本日の歩数は11,431でした。
閑話休題、『居場所のなさを旅しよう』(磯前順一著、世界思想社)は、居場所がないと悩んでいる若者たちに、「居場所がなくても、若い人はそんなこと気にしなくていい」と語りかけています。
「なぜならば、居場所のなさを感じている者同士が出会い、勇気をもって心を相手に開くとき、その居場所のなさの感覚こそが新たな絆をもたらしてくれるからです。この本は、居場所のない私が、あちこち旅をした記録であり、心の軌跡でもあります」。
とりわけ個人的に心に響いたのは、批評について述べた箇所と、夏目漱石の『こころ』について論じた件(くだり)です。
●批評
「エドワード・サイードというパレスチナ人の英語文学研究者がいます。彼は、『批評』とはその場所を支配している規則を疑うことだ、と言いました。これを『学ぶとは』と言いかえてもよいでしょう。学ぶとはその場所のルールを疑うことだ、と。みんなはそう言うけれど、それは正しいんだろうか? 疑う勇気をもつことが批評であり、学ぶことなんじゃないかと私は思います」。
●『こころ』
「夏目漱石は男女の三角関係をよく描きました。自分は想うけれども相手からは想われない。自分は想っていないのに、相手から想われてしまう。思うようにいかないのが人間関係であり、漱石はそれを三角関係として描いていると、柄谷(行人)は理解します。たとえば、漱石の描く不貞というのは、あくまで善人でありたいという個人の意識をこえた何ものかが、三人の登場人物の関係性を狂わせていってしまう。それはとても自分の倫理的な態度で制御できるようなものではないのです。・・・『こころ』の主人公である『先生』は、親友を裏切ってお嬢さんと結婚してしまいます。漱石が見ている『心理や意識をこえた現実』とは、自意識に収まらない無意識のことでしょう。つまり、個人の意識が人間の主人ではなく、むしろ意識の及ばない無意識こそが人間を動かす主人公なのだ。そのように漱石の物語は、自分の意識ではどうにも防ぎようのない運命的な出会いを、それこそ不気味なものとして私たち読者に語りかけているのではないでしょうか」。