榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

武田信玄の軍師・山本勘助は本当に実在したのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(713)】

千葉・美浜の千葉市花の美術館・三陽メディアフラワーミュージアム(=植物園)のヒスイカズラの花は文字どおり翡翠色に輝いています。私の妹が女房に送った「珍しいヒスイカズラが咲いている花の美術館に連れていってもらえば」というメールに唆され、やって来たのです。その他、オオベニゴウカンの赤い花、ウナズキヒメフヨウの赤い花、テンニンカの桃色の花、ソーセージノキの薄赤紫色の花、ウコンラッパバナの黄色い花、ヤエサンユウカの白い花も咲いています。葉の先端が桃色のツマベニアナナス、さまざまな色合いの葉のグズマニア、タビビトノキとその翡翠色の種、赤い実を付けたマニラヤシ、緑色の実を付けたトックリヤシ、バナナの花(枯れている)と実、パイナップルの実、タコの足のようなタコノキの気根が印象に残りました。小学生の頃、潮干狩りで何度も訪れた稲毛海岸を何十年ぶりかで見ることができました。因みに、本日の歩数は12,264でした。

閑話休題、武田信玄の軍師・山本勘助は実在したのか否かの結論が得たくて、『甲陽軍鑑入門――武田軍団強さの秘密』(小和田哲男著、角川ソフィア文庫)を手にしました。著者の小和田哲男は、信頼の置ける戦国時代史の第一人者です。

武田信玄の一代記ともいうべき『甲陽軍鑑』で大活躍する山本勘助だが、他の史料には一切登場しないこと、『甲陽軍鑑』自体が偽書扱いされてきたこと――から、その実在が強く疑われてきたのです。

小和田は、『甲陽軍鑑』をこう捉えています。「『甲陽軍鑑』に書かれていることすべてを信用してしまうのはまちがいで、使える部分をよく吟味して史料として使うべきだと考えている」。

圧倒的に優勢だった山本勘助非実在説が大きく揺らいだのは、1969年に市川文書が発見されたためです。「この一通の信玄書状(第三次川中島の戦いに関連し、信玄が市河藤若という信越国境地帯に住む武将に出陣を促したもの)の発見によって、山本勘助は実在したことが明らかになった。これまで、『架空の軍師山本勘助が活躍するように描かれている<甲陽軍鑑>はおかしい。偽書だ』といわれてきた根拠が崩れたことになる」。「私は、『市川文書』にみえる山本菅助と、『甲陽軍鑑』にたびたび登場する山本勘助(勘介)は同一人ととらえていいのではないかと考えている。あまりに過大評価しすぎた『甲陽軍鑑』に描かれたような山本勘助でなく、『市川文書』からうかがわれるような『軍使』をつとめるような山本勘助なら、同一人とみることはできるように思われる」。

さらに、小和田は、山本勘助は信玄の占筮(筮竹<ぜいちく>で卦<け>を立てて吉凶を占うこと)面を担当する呪術者的軍師と位置づけています。「山本勘助は、従来、川中島の戦い第四回戦で啄木鳥の戦法を進言したということがとりあげられ、作戦参謀的な軍師の範疇に入れられることが多かったが、実は、呪術者的軍師だったのである」。

本書のおかげで、私の頭の中の山本勘助問題はすっきりすることができました。