名画に描かれた恋愛を巡る物語――クリムト、ムンク、ミュシャの場合・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1815)】
さまざまな色合いの花を付けたサトザクラ(ヤエザクラ)が咲き競っています。アカバナミツマタが赤い花、ミツマタが黄色い花を咲かせています。我が家の庭のクルメツツジ(キリシマツツジ)が咲き始めました。因みに、本日の歩数は10,210でした。
閑話休題、『名画の中の恋人たち』(永井龍之介監修、池田書店)では、名画に描かれた恋愛を巡る26の物語が、作品に即して解説されています。
「名画の来歴を探ってみると、画家とモデルが織りなす恋愛ドラマや、画家の性的傾向、画中の人物たちの禁断の関係といったさまざまなストーリーが見えてきます」。「画家たち、彼らに関わる人たちも純愛、悲恋、不倫、三角関係、同性愛など、さまざまな形の恋や愛を経験し、そのほとばしる感情が絵になりました。そうした作品を見ると、たとえ巨匠と呼ばれるような人であっても、雲の上の存在ではなく、同じ人間なのだと実感するのではないでしょうか」。
グスタフ・クリムトの「接吻」――「世界一有名な愛の画」に秘められた運命の女性との心の愛。「金箔を使ったきらびやかな装飾が有名なクリムトは、手当たり次第にモデルと関係をもってしまう節操のない画家でした。しかし、そんなクリムトにも死ぬまで心の拠りどころとした特別な女性がいました。それも性的な関係を抜きにして。『愛の画家』クリムトが心から愛した女性とは、どんなひとだったのでしょうか」。
「(その女性は)エミーリエ・フレーゲです。エミーリエはクリムトの弟の妻の妹で、クリムトより12歳年下です。ただ美しいだけでなく、確固たる自分をもっており、モード・サロンを経営したり、服のデザインをするなど経済的にも自立した女性でした。クリムトの絵のモデルを務めることも多く、『世界一有名な愛の画』といわれる『接吻』のモデルは、彼女とクリムトだといわれています。絶壁の上で抱き合いなら熱いキスを交わす男女。ふたりがどれほど愛し合っていたかが、ひしひしと伝わってきます。実際、クリムトとエミーリエは27年もの間、親しい関係を続けました。結婚こそしていませんでしたが、頻繁に手紙をやりとりしたり、ともに避暑地に出向いたりしていました。・・・しかし意外なことに、ふたりは生涯、プラトニックな関係だったと考えられています」。
「エミーリエ・フレーゲの肖像」というクリムトの作品と、クリムトとエミーリエが並んで立つ写真も掲載されているが、すらりとしたエミーリエはクリムトよりも背の高い、私好みの美形です。
エドヴァルド・ムンクの「吸血鬼」――「叫び」の画家の初恋相手は人妻、しかもヴァンパイア!? 「ムンクに最も大きなインパクトを与えたのは初恋相手のミリィ・タウロヴだったのではないでしょうか。ムンクの初恋は20代前半ですから、比較的奥手だったといえるでしょう。ミリィは彼より3歳年上で、なんと人妻でした。夫との関係はすでに破綻していた可能性がありますが、離婚はしていなかったため、ムンクは手記などで『ハイデルベルク夫人』と呼んでいます。社交界の花形でもあったミリィはムンクの初めての女性となり、性の悦びを教えてくれました。それと同時に女の魔性も教え込んだのでしょう。ムンクは彼女を『吸血鬼』として描きました。尊くもあり魔性でもある――ムンクの女性観はこの頃につくられたのです」。
ムンクと5年に亘り関係のあったミリィの写真を見ると、私好みの凛とした美貌ではありませんか。
アルフォンス・ミュシャの「ジスモンダ」――無名の挿絵画家の運命を変えた大女優からの仕事依頼。「アール・ヌーヴォーの巨匠ミュシャとフランスの大女優サラ・ベルナールは互いの才能に惚れ合い、理想的なパートナーシップで世紀末のパリを席巻しました」。
「(無名の)ミュシャが才能を開花させるきっかけとなったのは、憧れていた大女優サラ・ベルナールとの邂逅でした。1894年のクリスマス・イブのことです。(サラは)多くの作品で主演を務めてきた大女優。当時すでに50歳を超えていましたが、美貌と美声は健在でした。ミュシャに、サラが翌月の再演舞台『ジスモンダ』のポスター制作を依頼します。ミュシャはポスター制作の経験がありませんでしたが、すぐに劇場を訪れてサラをスケッチし、ポスターを仕上げます。完成したポスターを見たサラは、ミュシャの才能に一目惚れ。気難しいサラにしては珍しいことでした。シュロの葉を手にしたヒロインと背後を飾るアラベスク紋様。舞台のクライマックスを切りとったポスターが公開されるや、巷でたちまち評判になりました。・・・サラに対する彼の想いも見逃せません。実はミュシャは若かりし日のサラを見たことがあり、憧れを抱いていたようなのです。6年の契約期間中、ミュシャとサラの間に恋愛感情が芽生えるようなことはなかったようです。しかし、その蜜月関係のなかでミュシャは傑作を次々と生み出し、女優としてのピークを過ぎていたサラの人気回復に大きく貢献したのです」。
インターネットでサラの写真を見たところ、私の好みとは少しずれるが、個性的な美人でした。