人類学者Kがボルネオ島で考えたこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2878)】
ジョウビタキの雌(写真1、2)、ツグミ(写真3)、タヒバリ(写真4~6)、タシギ(写真7~10)、コサギ(写真11)をカメラに収めました。シダレウメ(写真12、13)が芳香を漂わせています。
閑話休題、『人類学者K――ロスト・イン・ザ・フォレスト』(奥野克巳著、亜紀書房)には、人類学者Kがボルネオ島で考えたことが縷々記されています。
ボルネオ島の低地の森は、草本層、低木層、亜高木層、高木層、突出木層から構成されているが、「それは、ボルネオの森の『空中の階層』そのものである。ボルネオ島の空中の階層の上空からその高所を訪れる『トリたち』と、空中の階層を地面から樹上まで駆け上ったり下りたりする『サルたち』と、地上から空中の階層の高所で行なわれていることを想像する『人間』の、三者の間で織りなされる森の世界。その世界を、マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)ブラガ川上流域の森に住む狩猟採集民プナンは手に取るように眺めている。それは、驚くべきことだ。そうKは思った」。
「ボルネオ島では、1920~30年代になると、イギリスの民間人がつくった植民地政府の調停によって首狩りは行なわれなくなった。だが首狩りの恐怖とそれへの警戒心は、首狩りが行なわれなくなった後にも島内に広がっている。今しがた見たのは、首狩りに対する恐怖心の高まりのプナン・ヴァージョンだったのではないかとKは思う」。
「死が発生した場所に死体を埋めて逃げるという遊動の民ならではの死の慣行は、死者に『戒名』や『法名』という新たな名を与えて、死者の『死後の生』の輪郭をはっきりさせた上で、祖先として祀るという習慣を発達させてきた日本列島の民の末裔であるKから見ると、驚くべきものだった。プナンのやっていることは、我々日本人があたりまえのようにやっていることとは逆に、生前の生き方を含めて、死者の実在のすべてを否定してしまうように感じられる。Kはまた、同じように死者の生前の実存を否定してしまう、プナンのもうひとつの死の習慣にも強く惹きつけられた。その習慣とは、死者の名前は口にしてはいけないとされる習慣である。残された者たちの会話の中で、どうしても死者に言及しなければならない場合には、死者は、死体を埋葬するために作られた棺の材料である樹木の名前を用いて仄めかされる。・・・死者は生前の名前で呼ばれなくなることで、死の直後から、生前の輪郭さえも失われた、おぼろげな存在となっていく。プナンの死者は、日本の死者とは反対に、無名化され、無化されていくのだとKは考える。プナンは、死者を無化するだけではない。死者に対する思いや関心をズラして、別の関心事へと振り向けようとする」。
「死をめぐる数々の習わしは、プナンの時間に関する考えを反映したものではないかと、Kは考える。人は、あらゆる存在者は、時間を生きている。生きることは時間である。逆に、プナンの死には時間はない。プナンにとって、死者は過去に生きた存在として、現在において消え去り、未来において人々から忘れられていく。・・・無文字社会では、記録されず、人がいなくなると、伝承されない記憶は儚く消えていく」。
「過去に対するプナンの深度のなさは、過去を振り返らないことにつながっている。そのことはまた、『反省しない』という彼らの日常的な態度を生み出しているように思われる。過去はただ消えてゆくのみで、対象化されないのだ」。
「未来に関して、プナンは将来についてほとんど語ることはない」。
「私たちには特異なものに思えるこうしたプナンの時間性は、彼らの生業である狩猟採集によるものだと考えるのは、あながち的外れなことではないと、Kは思う。・・・森の遊動民だった頃のプナンにとって、時系列に沿って考えたり、時間や暦で生活のリズムを管理したりする必要はなかったはずだ。時間の観念や暦がないことは、熱帯の森の中で生きていく上で、何ら支障にも障害にもならなかった。いや、必要がなかったから、時間の観念や暦がなかったのだとも言えるだろう。今日に至るまで、プナン社会にカンレンダーの類はない」。
人類学という学問の面白さを教えてくれる一冊です。