言語はジェスチャーゲーム(言葉当て遊び)のようなものだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2908)】
【読書クラブ 本好きですか? 2023年4月3日号】
情熱的読書人間のないしょ話(2908)
レッドロビン(写真1、2)の新葉が目を惹きます。シナレンギョウ(写真3)、アセビ(写真4)、アケボノアセビ(写真5)、ショカツサイ(オオアラセイトウ。写真6、7)、ヒマラヤユキノシタ(写真8)、シバザクラ(写真9、10)が咲いています。我が家の庭の片隅に、セイヨウタンポポとカントウタンポポの交雑種のアイノコセイヨウタンポポ(写真11~13)と思われる個体が、突然、出現しました。
閑話休題、『言語はこうして生まれる――「即興する脳」とジェスチャーゲーム』(モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著、塩原通緒訳、新潮社)の著者の主張を一言で言えば、「言語はジェスチャーゲーム(言葉当て遊び)のようなものだ」となります。
「その場の要請にもとづいて、プレーヤーどうしの共有する歴史を頼りになされる一回一回のジェスチャーゲームがゆるやかに結びつき、果てしなく蓄積されていく――そのようなものが言語なのだ。ジェスチャーゲームさながら、言語は絶えず任意の瞬間に『発明』されては、またゲームをするたびに新たに発明される」。
この主張は、言語学研究に大きな影響力を有するノーム・チョムスキーの「普遍文法」、スティーヴン・ピンカーの「言語本能」といった言語生得説に真っ向から異議を唱えるものです。
私は言語学の門外漢だが、本書の主張のほうに分があると思います。