榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

なぜ、チンパンジーの大人は子どもに「教え」ないのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3705)】

【読書の森 2025年5月19日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3705)

水浴びするスズメ(写真1、2)、カワラヒワ(写真3)、オオヨシキリ(写真4、5)、カイツブリの親子(写真6)、カイツブリの幼鳥(写真7)、バン(写真8)、オオバン(写真9)をカメラに収めました。スイカズラ(写真10)、カシワバアジサイ(写真11)、キショウブ(写真12、13)が咲いています。芳香を放つニオイバンマツリ(写真14~19)は、花色が濃紫→薄紫→白と変化します。因みに、本日の歩数は11,944でした。

閑話休題、『チンパンジーは、なぜ「教え」ないのか――ヒトにできて、チンパンジーにできないことを哲学的に考える』(木村史人著、晃洋書房)は、興味深いテーマを扱っているが、学術論文的なにおいがぷんぷんします。

そこで、乱暴なことは承知の上で、途中の詳細な考察部分はすっ飛ばして、著者が言いたいことを、私なりにまとめてみました。

●なぜ、チンパンジーの大人は子どもに「教え」ないのか
ヒトの大人は子どもに「教える」ことができるのに対し、チンパンジーが「教える」ことをしない/できないのは、「距離を空ける」ことができず、それゆえ物語文から構成された実践的知識を有することができないためである。

●なぜ、ヒトだけが「教える」・「教わる」ことができるのか
ヒトが「教える」・「教わる」ことが可能であるのは、ヒトが他者を物語文から構成された実践的知識において理解することができ、そして、そのような物語ることは「距離を空ける」ことによって可能となる。

●「距離を空ける」とは、どういうことか
「距離を空ける」とは、単にあるものを切り離すことではなく、それについて関わりつつ、その関わりを一部解除し、それから「距離を空け」た視点に立つことである。このように「距離を空ける」ことによって、その像を意図的に作ること、そして、そのことを理解すること、あるものを別のあるものと比較し、ある特徴を強調しデフォルメすることや、そのデフォルメを理解することが可能となる。

うーん、我ながら、分かり難いまとめになってしまったなあ。